| ※三代目火影が生きてます
積もった雪が、木の枝をみしりと揺らした。吹雪はとうに吹きやんで、
うすい花びらのようなあわい雪がうっすらと降り続いている。
その雪の間に、家々の灯りがぼんやりと浮かんでいる。
もう暮れも押し迫っている木の葉の里の、毎年の風景だ。
「そんなこと言われてものう」
三代目火影は微妙な表情のまま、目の前の痩躯の男を見上げた。
火影の表情は、よく見ると「げんなり」とでも表現できそうな様相を呈している。
それを押し込めて「微妙な」ぐらいで済ませているのは、
一重に年の功である。
「そうですよ、カカシさん。火影様がこうおっしゃるんですから、
ご自分のご意思なんでしょうし…」
鼻の上の横一文字に汗をしたたらせて、今度はイルカが言った。
こちらは年の功ともいかない分、一文字の上の両目に「うんざり」という字がでかでかと浮かんでいる。
そんな雰囲気を一向に介さず、カカシはその猫背を更に折り曲げて
しょんぼりとしていた。
「でも、あいつ、確かに約束したんです…」
そんなことどうでもいいから、もう帰ってくれんかのう。
里の慈父であるところの三代目火影は、それでも忍耐強く目の前の男を
慰め続けた。
「なら、そんなに心配することもないじゃろうて」
「そうですよ、カカシさん!」
イルカが力強い声で火影に同意する。その目にはまったくもって力が籠もっていない。
「だけど、まだ帰ってこないし」
カカシが細い細い声で訴える。
「そんなこと言われてものう」
「そうですよ、カカシさん。火影様もこうおっしゃっているんですし」
まるで壊れたレコードのようじゃのう。
今はもうCDですよ、火影様。
受付所で慈父と受付係は一緒になって、ため息をつきながら
カカシを慰め続けていた。
●
なんでそれを素直にあの人に言わないかなぁ、とイルカは単純に
不思議に思った。
他人になら、里最高位の上司にまでこんなにもつらつらと心情を
述べられるくせに、どうも恋人には一言も伝えられていないらしい。
恋人。
この目の前で猫背をさらに丸めている銀髪の男の恋人は、
真っ黒な髪に真っ黒な目をした凄腕の忍である。男の。
暗部所属ということらしいが、それは一応は機密扱いなので
詳しいことはイルカには分からない。しかしカカシが「テンゾウ」と
呼んでいるところを何度か見たから、彼は「テンゾウ」という名前なのだろう。
カカシの眠そうな目とは対照的に意志の強そうなきりりとした瞳で、
カカシのゆるい雰囲気とは真逆のピシリとした緊張感を漂わせ、
カカシのたまさか感じさせる鋭利な空気にも
違和感なく寄り添うことのできる、
つかみどころのないどこまでも深い闇を意識させる男だ。
まぁ一言で言えばお似合いの相手であった。
しかもなんか、マメっぽいというか、かいがいしいよな、あの人。
イルカはカカシの恋人であるテンゾウを思い出してみる。
何度かスーパーで会ったことがあるのだ、このゲイカップルと。
確かいつも買い物しているのはテンゾウさんで、
「今夜は何を作りましょうか」と言ったり、葉ものの野菜を選ぶのに
葉っぱや茎の切り口を熱心に見比べているのも
いつもテンゾウさんだった気がする。
そういえば、夏のスゲー暑い時に会ったことがあったよな。
カカシさんもテンゾウさんも黒いTシャツ着てて、
でもカカシさんのが断然白くて、テンゾウさんはほどよく焼けてた。
テンゾウさんのほうが腕は太かったな。体格もがちっとしてるし、
テンゾウさんが男役なのかなー。
「イルカ先生、聞いてます?」
「ははははははい?なんですか、カカシさん!」
とりとめなく組み敷かれているカカシまで想像しそうになったところで、
カカシの恨めしそうな声でイルカは我に返った。
「だからぁ…」
●
テンゾウのバカ。バーカバーカバーカボケ。
言っても詮無いことだと分かっていても言わずにはいられない。
はっきり言って火影様とイルカ先生という、ある意味究極の癒しコンビに
甘えているのだが。
この二人はどんなアホらしいことでも一応はまともに聞いてくれるのだ。
そして、カカシが今愚痴っているのは
アホらしいことこの上ない内容であった。
カカシとテンゾウはこのたび目出度く同棲と相成った。
テンゾウが建ててくれた家で一緒に住むことになったのだが、
同棲生活スタートは、大晦日からと決めていたのだ。
一緒に年越し蕎麦を食い、紅白を見て、除夜の鐘を聞きながら
姫始めをし、そのまま正月を迎え(できたら新年になったと同時に
二人一緒に達するのが望ましい)おめでとうを言ってから
雑煮を食うのだ。
カカシは事細かに理想を思い描いた。
そうイチャパラに書いてあったのだ。
除夜の鐘で煩悩を拭うそばから煩悩を増やしていることなど
この際どうでもいい。
それなのにさ…。
テンゾウのバーカ。言葉の悪さと裏腹に、カカシはどんどん
寂しそうな顔になっていった。
テンゾウが帰って来ないのである。
大晦日はもちろん、忍の書き入れ時だ。文字通り任務依頼書は山となり
非公式書類、つまり暗部の仕事の書類も山になる。
宴会の多い年末年始は暗殺にうってつけなのである。
そんなことはもちろんカカシも分かっている。半分以上諦めつつ
一年以上前から火影に直訴し続けて手に入れた年末年始休暇・
テンゾウ付きであった。しかしテンゾウも、暗部ではかなり、というか
筆頭クラスの優秀な忍であるので、
この休暇が非常により駄目になっても仕方がないとは
カカシも思っていたのだ。
それなのに…
「テンゾウのバカ。バーカバーカバーカボケ」
「声に出ておるぞ、カカシよ」
「出してるんです」
「うっとうしいのう…」
「何ですか」
「いや、別に」
今日は12月31日の大晦日だ。今日、カカシは本当に久し振りに
テンゾウに会えるはずだった。約束をしていたのだ。
なのに、テンゾウは消えてしまった。
いや、カカシの前にも二人の愛の巣にも現れなかったのだ。
任務なら仕方がない。一言ぐらいは欲しいところだが、
それさえも時間がなく緊急だったのなら諦めがつく。
「本当に、任務じゃないんですか」
「しつこいのう」
火影はテンゾウに任務を振っていないというのだ。
じゃあ、なんで帰ってこないのさ…
カカシは今度は俯いてずるずるとしゃがみこんだ。大晦日で、
もう夜の11時だ。一応は受付も一段落して今は無人である。
とはいえ締まらないことこの上ない。
しかし、本来なら受付所を閉めて簡易窓口で夜勤の忍が
書類受付のみをしている時間なので、大晦日でなければ
営業していなかったはずであり、
さらにあと1時間で新年であり、
しかも大量の愚痴を聞かされ気力をゴリゴリ削り取られた後であって、
イルカにも火影にも「シャンと立て!」などという気概は
残っていなかった。むしろ椅子に座ってさえいなければ、
座り込みたいのはこっちであった。
テンゾウとカカシは、もう3ヶ月会っていない。
カカシの誕生日を祝ってから、お互いにずっと任務だったのだ。
それというのも年末年始にムリヤリ休みをもぎ取ったからで、
仕方なく会えない間はお互いに伝書鳥を飛ばしあって
愛の言葉を伝えていたのである。
書かれている文字が「カカシ先輩、風邪ひかないで下さいね。
あなたのテンゾウより」などでは、特別に養成・訓練された伝書鳥も
機密保持のために開発された暗部文字も泣きそうだ。
しかしそれでも、そんな状態で大晦日のこの日まで我慢してきたと
いうのに…
もしかして、もうオレに飽きちゃった?
冗談のようなつもりで考えたその可能性は、しかし考えてみると
そう的外れではない気がしてカカシは青くなった。
黙り込んで顔色を変えていくカカシを、火影とイルカがブキミそうに
見守っている。
もう、オレに飽きたのかも…
いや、もしかして最初からただのセックスフレンドだったら?
そんなことはない、そんなことはないはずだと思いながらも
カカシの思考はどんどん暗いほうに傾いてゆく。
考えてみると、二人のデートはいつもセックスだった。
それは、会う時間が限られているのと、恋人として付き合いだして
まだ1年にしかならないのでそうなってしまうのだが、
そう思っていたのが自分だけだったら…
カカシの青くなった顔からは脂汗が流れてきた。
暗部の男の体液は、一般人のそれとは少し違う。
特殊な毒物に体を慣らしていくので、一般人が持っていない
毒の成分が、微量だが体液から検出されるのだ。
だから、長く暗部にいる男は子供を作らない。
子供が毒物に感染している恐れがあるし、何より女の中で
体液を放出することで、女に毒を盛ることになってしまう。
まして、大蛇丸の実験体で薬漬けだったテンゾウならなおさらだろう。
しかしカカシなら…
自身も毒慣れしているカカシならその心配はない。
好きな時にセックスできて、毒物の感染の恐れもなくて、
リスクの少ない都合のいい相手として、
テンゾウに見られていたのだったら…
今、ほんものの彼女といるんだったらどうしよう。
段々とぼやけてくる床の木目に目を凝らして、カカシはすっかり
任務で癖になっている頭の中でのシミュレーションを続けた。
もし本当に本命が別にいて、でもあのテンゾウの黒い瞳で
じっと見つめられて、「ごめんなさい。でも、先輩とも
別れたくないんです」などと言われたりしたら…。
別れられない。
駄目だ、オレはそうなったってきっと別れられない。
都合のいいセックスフレンドで、言葉だけしかもらえなくて
たとえば彼女に無茶できない時の捌け口になったって
それが分かってたって
オレは別れられない。
だって、オレがあいつを好きなんだから。
「お、おい、どうしたんじゃ、カカシよ」
「カ、カカシさん!」
さっきまでの倦怠感を一瞬だけ吹き飛ばして、火影とイルカは
身を乗り出した。
「え?何ですか」
「何って…」
相変わらず青い顔のまま、それでも少し首を傾げたカカシの目から、
雫が一滴ぽろりと落ちた。
●
「カカシ先輩を泣かせたのは、どなたですか」
突然身を切る剃刀のような一陣の風が上がったかと思うと、
そこに一人の男が立っていた。
「あんたですか」
底知れない深い闇を湛えた目でイルカを睨み付け、
男は先程よりも低い声を出した。ビリビリと周りの空気が揺れて、
男の背後でどす黒い炎が揺れたように見えた。
「それとも火影様、あなたが…」
怒気を孕んだその声と殺気だけで殺されてしまいそうだ。
しかし、流石に百戦錬磨の三代目火影は、
固まってしまったイルカに代わってぐったりとした声を出した。
「テンゾウ。何でもいいからそやつを連れて行け…」
●
「バカ!バカバカバカ死ねっっっ」
「すいません、先輩」
「嫌いだ、嫌い、お前なんか嫌い」
「ごめんなさい」
「もう顔見せんな!」
「…分かりました。ごめんなさい、もう帰りますね」
「えっ!嘘だよ、嘘、嘘、帰るなよ、かえ……ふえぇ」
「先輩…」
なんでもいいから、さっさと帰ってくれんかのう。
完全に脱力して突っ伏してしまったイルカの隣で、火影は煙管に
煙草を詰めながら目の前の男二人を見ていた。
「なんで、さっさと来なかったのよ!」
「だって先輩が、コタツ欲しいって言ってたじゃないですか。
コタツでお蕎麦食べたりするんでしょ。でもどこ行っても
売ってなくて。ボク帰って来たの今朝ですし、
それからすぐに探しに行ったんですけど」
「お、オレはね、オレは……」
涙目でテンゾウを睨み付けながら、カカシは時折喉を詰まらせて
必死に言い募った。
テンゾウはというと、謝りながらもがっちりとカカシの腰を抱き
時折涙を指でぬぐってやっている。
ホモの愁嘆場も純愛も、できれば見たくないのう。
火影はもちろん大らかな人間であるので、性的マイノリティに対する
差別心など微塵もなかったが、それでもこうごつい男二人の
ラブシーンを今年の締めくくりとして見せられるとなると、
やはり一言皮肉も言いたくなるというものであった。
先程黒い炎を背中に見せたテンゾウは、炎ではなくコタツを背負って
帰って来、来るなりカカシとの感動の再会を熱演中である。
「おせちもお雑煮も、コタツで食べないといけないんでしょ」
「でも、お前が、お前がいなかったら…
お前がいるんだったら、コタツなんかなくたって…」
「先輩、どうしちゃったんですか」
「だって、お前が、もしかして、本命の彼女のところにいたらって…」
「先輩!」
「わか、分かってるよ!で、でも、お、お前がいないからじゃない!
お、オレだって、う、う、ふぇ」
「先輩…!」
放っておくとこのまま新年を迎えてしまいそうな二人の様子に
危機感を感じ、『そんな縁起の悪いことは避けねばならん』とばかりに
火影は二人に割って入った。
「のう、その辺にして、家に帰ってはどうじゃ。
二人でコタツで温まってゆっくりするのは」
その瞬間手を握り合ったままテンゾウとカカシが振り向き、
やめてほしいのう…と思う火影を尻目に何やらまた盛り上がり始めた。
「そうだ、先輩、姫始めはコタツで…ね?」
「テンゾウ〜、やめなさいよ、恥ずかしいでしょ、こんなとこで」
ポッと赤くなりながらカカシはテンゾウの額を小突く振りをした。
もちろん火影は見ていない。
見えざるものを見、見ゆるものは見ず…
もはや十万億土の彼方楽園をみつめる釈迦の目である。
「…じゃあテンゾウ、帰ろっか」
●
「のう、イルカ」
「なんですか、火影様」
「職場恋愛は禁止にしようかのう」
「…それは無理じゃないですか、お気持ちは分かりますが」
「それでは、ホモ禁止にしようかのう」
「愚痴禁止のほうがいいんじゃないですか」
「コタツ厳禁」
「そんなムチャな」
数時間前よりもさらにうつろになった目で、イルカと火影はぼそぼそと
会話を続けた。
しんしんと、あわい花びらのような雪が里中を埋めてゆく。
どこかの寺で、除夜の鐘が鳴った。
end
|